Platinum Guild International

Platinum Story 〜美しく輝く冬の日に〜 “雪うさぎ”
作家 小池真理子

2017/12/25

第1話(12月22日公開)

Platinum Story~美しく輝く冬の日に
雪うさぎ vol.1
小池真理子

午後から舞い始めた雪が、日暮れてから本降りになった。窓の向こうに見える庭も、みるみるうちに白く染まりつつある。

台所から、温かなにおいが漂ってくる。クリスマスイブにビーフシチューを作ろう、と思いたったのが三日前。材料を買いに行ったのが一昨日。作り始めたのが昨日で、肉はもう充分柔らかく煮えている。あとは帰宅する夫を待つだけだ。

わたしはつけていたエプロンをはずし、窓辺の椅子に腰をおろした。外は白く煙ったように見える。少し風も出てきたようだ。

夫と出会って恋におち、結婚したのは、すでに遠い昔のこと。あんまり遠くなりすぎて、思い出すと目がくらみそうになる。

出会って間もないころ、猫が好きだと話したら、次のデートの時、虎毛の子猫をレインコートの内ポケットに抱いて現れた。どうしたんですか、それ、とびっくりして訊(き)くと、彼は大まじめな顔で、これから僕が留守の時は、こいつがあなたを守りますから、と言った。彼は仕事の関係で、しょっちゅう日本を離れていた。

守る? このちっちゃい猫が? わたしは思わず、噴き出しそうになった。彼は当時から、芝居がかったことをする男だった。
虎毛の痩せた子猫は、抱いてやると情けない声でみゃーと鳴いた。彼は猫の頭をごしごしと撫(な)で、おまえも男なんだから彼女をしっかり守るんだぞ、と耳元で話しかけた。

猫はよく食べ、どんどん成長し、体格のいい立派な雄猫になった。結婚したわたしたちは、猫をまじえた暮らしを始めたが、彼の忙しさは変わらなかった。変わらないどころか、一年のうち半分は海外。わたしはいつも独りだった。

朝起きて会社に出勤し、まっすぐ帰って猫と一緒にごはんを食べ、猫と一緒にふとんにもぐる。離れて暮らすのも楽だし、悪くない、と思うこともあったが、さびしいと感じることのほうが多かった。こんなふうに時間が過ぎていくのなら、結婚なんかしなきゃよかった、とぶつぶつ口にし、友達相手に安ワインをがぶ飲みすることもあった。

そんなある日。しばらくぶりに帰国して、珍しく十二月いっぱい共に過ごした彼が、年明けて再び仕事で出かけなくてはならなくなった時のこと。

雪がみっしりと積もった庭に出て、朝から何やらごそごそやっていた彼が、玄関先でわたしを呼んだ。行ってみると、彼はブリキの箱を恭しく手にして立っていた。箱の中には、大きな雪うさぎが載っていた。

第2話(12月23日公開)

Platinum Story~美しく輝く冬の日に
雪うさぎ vol.2
小池真理子

目は赤い南天の実。耳は寒椿の葉。彼は、いつもなんにもできなかったから、とぼそりと言った。なんにも、って何? うん、誕生日とかクリスマスとか、いろんな記念日にさ。

だからこれを作ってくれたの? 嬉しいし、彼らしいことだけど、と思いながら、正直なところ、胸の奥にちくりとした痛みのようなものが走っていた。それは冷たい水のような哀(かな)しみでもあった。

ありがとう、とわたしは言った。どういたしまして、と彼はにっこり笑った。溶けちゃわないように、外のデッキに出しておくよ。うん、わかった。

彼は出かけて行き、わたしは再び独りになった。炬燵(こたつ)に入り、虎毛の猫を膝に載せながらお茶をすすった。外は雪空のままだった。デッキの上の雪うさぎが見えた。泣けてきて仕方がなかった。

翌日、雪はやみ、それからしばらく晴天が続いた。デッキに射(さ)しこむ日の光は暖かかった。

それに気づいたのはいつだったろう。よく覚えていない。会社から戻り、デッキに向かう窓のカーテンを閉じようとした瞬間、わたしはあっと声をあげた。胸に勢いよくこみあげてくるものがあって、たちまち息が苦しくなった。

いつのまにか溶け始めた雪うさぎの中から、美しい青い小箱が覗(のぞ)いていた。箱は革製で、とても上等なものだった。

こわごわそれを手にとった。箱は雪のせいで冷たくなっていた。震える手で蓋(ふた)を開けてみた。

中から、クロスをかたどったプラチナのペンダントが現れた。クロスの表側には煌(きら)めく無数の小さなダイヤが埋め込まれていた。何もかもがきらきら光っていた。光っているのに静かで気品があった。そんなに美しく静かなものを見たのは初めてのような気がした。

虎毛の猫がそばに寄ってきて、わたしの足にからだをこすりつけた。芝居がかったことをしたがる癖、全然直ってないね、とわたしは猫に話しかけた。猫はわたしを見上げて眠たげに目を細めた。

第3話(12月24日公開)

Platinum Story~美しく輝く冬の日に
雪うさぎ vol.3
小池真理子

外で車が停まる音がした。夫が運転する軽四輪の音。わたしが椅子から立ち上がると、二代目の虎毛の猫も、それまで寝ていた炬燵ふとんの上からのろのろと起き上がった。

一代目は二十年生き、わたしの腕の中で大往生した。二代目はまだそれほどでもないが、確実に老い始めている。わたしたちと同じである。

玄関が開けられ、ただいま、と言う声が聞こえた。わたしは、おかえりなさい、と言いながら台所に向かう。シチューを温め直すためにガスの火をつける。

数年前、夫は外国に行くことを強いられる仕事をやめ、この地でもできる気楽な仕事を見つけてきた。朝家を出て、日暮れたころには戻ってくる。だから毎晩一緒に食事をとる。時にはふたりで長々とした晩酌が続く。思い出話に花が咲く時がいちばん楽しい。

いろいろなことがあった。嬉しいことも悲しいことも、あり過ぎて思い出せないほど。

晴れたり曇ったり。嵐になったり霧に巻かれたり。木枯らしが吹きすさび、木の葉が怖いほど舞い落ちた後でも、雲間からいきなり青空が覗く。凍りついた雪の上にも、そのうち穏やかな光がいちめんに射(さ)してくる。……そんな人生だった。

わたしはハレの日に、必ずプラチナのクロスのペンダントをつける。今夜も、雪うさぎの中から現れたペンダントが胸もとで光っている。おそろしいほど瞬く間に時が流れていったが、プラチナには一点の曇りも残されていない。ふしぎなほど。

今夜は積もるな、と夫が言いながら炬燵(こたつ)に入って来た。お、シチューか、うまそうだ。

クリスマスイブにシチュー、ってのもいいと思って。ね、ワイン、飲まない? いいね、飲もう。

動きまわるわたしの胸元でクロスのペンダントが揺れている。気がついているのかいないのか、夫は何も言わない。

つけたテレビ画面には、ちかちかと豪勢に瞬くニューヨークの巨大ツリーが映し出されている。猫が夫の膝にのぼっていこうとしたが、夫がワインのコルクを抜こうとして動いたため、しぶしぶ炬燵(こたつ)ふとんの定位置に戻って行った。

わたしはペンダントに左手の指を添えながら、ふと窓を見た。雪の降りしきる闇を湛(たた)えた窓ガラスに、二人と一匹のいる、温かく凪(な)いだ風景が映っているのが見えた。