Platinum Guild International

A HISTORY of PLATINUM JEWELRY

section1 ルイ・カルティエが見出したプラチナの可能性

1803年、英国の化学者、ウィリアムス・H・ウラストンがプラチナの精錬・加工技術を発見したことにより、産業界での利用が盛んになりました。さらに時代が流れた19世紀末から20世紀初頭の「ベル・エポック」(パリが繁栄した華やかな時代、及びその文化)期、装飾様式では、花や植物などの有機的なモチーフや過剰な曲線の組み合わせを楽しむ「アール・ヌーヴォー」が全盛を迎えました。ジュエリーでも同様に、植物をモチーフとした曲線が好まれたこの時代。宝石の役割は看過されざるを得ず、地金主体で大きく重く、バロック・ドレス以外には不向きでした。そんな時流を覆すかのように登場したのが宝石商ルイ・カルティエです。彼の手によって、世界で初めての「プラチナ・ジュエリー」が制作されました。

ガーランド・スタイルの典型を示すプラチナ製ティアラ兼ネックレス。左右対称のシダの葉のモチーフは、プラチナ台にブリリアント・カットとローズ・カットのダイヤモンドをセット。1903年、カルティエ製(写真:カルティエ ジャパン)。

section2 「ガーランド・スタイル」とプラチナ

彼の天才たる所以は、まだ他のジュエラーが省みなかった未知の貴金属・プラチナに初めて取り組んだこと。プラチナの秘められた可能性を見抜き、その特性を引き出すため、ルイ16世時代の装飾美術(主に建築に用いられた葉や透かし細工などに観られる装飾)のスタイルをジュエリーに復活させたことです。後に「ガーランド・スタイル」と呼ばれたその装飾スタイルを小さなジュエリーで実現するためには、精緻な細工を可能とする素材が必要不可欠。非常にしなやかな特性を持つプラチナだけが、カルティエの意に叶う素材でした。精錬も加工も、金よりはるかに高度な熟練を要すプラチナ。しかし、どのような高温でも酸化せず常に輝きを保ち、紙のように薄く、糸のように細く延ばせる特性は、特にダイヤモンドの輝きを引き出す上で最大の利点でした。繊細で軽やかな、宝石だけを連ねたような華麗なジュエリーは、プラチナによって可能となったのです。「プラチナ革命」と称される所以です。

プラチナとダイヤモンドのペンダント・ブローチ。柔らかな布地を思わせるリボン結びとレース模様のドレープに、しなやかで強靭というプラチナの特性が巧みに発揮されている。1906年、カルティエ製(写真:カルティエ ジャパン)。

section3 王たちの宝石商にして宝石商の王

プラチナのガーランド・スタイルは、素材の習熟でも加工技術でも、まさにカルティエの独壇場でした。他のジュエラーの多くがプラチナを手がけるようになるのは、30年近くも後のこと。その間、英国王エドワード7世から「王たちの宝石商にして宝石商の王」と賞賛され、戴冠式には装身具の下命を賜る栄誉に浴しました。プラチナとカルティエとガーランド・スタイルは、素材と技術と意匠が最高の水準で融合した究極のジュエリーとして、今もなお不朽の輝きを放っています。

ストマッカー・ブローチ。ダイヤモンドの台のみならず、連結部を支える極めて細かいパーツにもプラチナを生かすことによって、エレガントな身体の動きで揺れるジュエリーが誕生。1912年、カルティエ製(写真:カルティエ ジャパン)。